1998/7/26
風鈴・そうめん・扇風機・うちわ・花火・・・日本の夏は暑いけど、風流で好きです。今年は、4年ぶりの日本の夏を楽しみにしています。美味しいウナギも食べたいなあ、○○のざるそばも食べに行こう、など・・やはり食べ物は楽しみですね。スーパーに売っているものでさえ、アメリカのモノより新鮮で美味しいような気がするし、コンビニ弁当も妙に恋しい(笑)もちろん、両親や姉弟に会うのも楽しみ。 帰国はとっても楽しみだけど、実は究極の選択が一つある。 それは、 国際線と国内線の飛行機の乗り換えを、 電車にするかバスにするか。。。 という問題なのである。 ワシントンからのフライトは、ワシントンを午前中に経って約12-13時間かけて、東京の成田国際空港に午後2時頃に着く。私の実家は鹿児島にあるので、それから更に電車かバスを使って、羽田空港に行き国内線の飛行機に乗るというパターンなのである。乗り換えは、最低何時間か飛行機の時間差が無いとダメであるが、鹿児島便の最終便には時間的な余裕があるので、同日に乗り換え可能なのです。しかし、アメリカに来てから、いままでに二回帰国したけど、二回ともろくな思い出がないのである。 一回目は、忘れもしない1994年の秋のこと。お土産や重い荷物をもって、乗り換えには(名前は忘れたけど。)電車で行くことにした。浜松駅で、電車も乗り換えなくてはいけないのだが、浜松町にはエレベーターがない。正確にいうと、エレベーターがあるのだが、エレベーターには「身体障害者用」と書いてあるが、使えないのである。渡米時に、大荷物を抱えていると親切な駅員がおじさんが「使っていいよ。」、と使わせて貰ったことがあるので丁寧な口調でお願いした。 「すいませ〜ん。荷物が凄く重いので、エレベータを使わせて頂きたいのですが・・」 この時に会った JRの駅員は意地悪 だった。 「あんた、身体障害者じゃないでしょ。」 と私の大荷物に冷たい視線を投げて言い放つ。しかし、荷物はキャスターが付いていても、抱えて階段を上がるには重すぎる。そこを何とか使わせて貰えないか、と丁寧にお願いすると、 「じゃあ、駅長に聞いて下さい。」 とのたまうJR駅員。怒りをこらえつつ丁寧に、 「あの〜、駅長さんは何処に居らっしゃるんですか?」 丁寧に聞くと、 「階段を下りて上がった駅の向こう側のプラットに居ますよ。」 という。信じられない思いで呆然と途方に暮れて居ると、いつの間にかJRの駅員は消えていた。仕方が無いので、重い荷物を抱えて階段を下りていったら、キャスターが壊れてしまった。通りすがりの見知らぬ人は、声を掛けてくれることもなく冷たい視線投げて、脇を通り過ぎていく。久しぶりに帰国して、思った事は、東京の人は冷たい。。(/_;)と心の中で泣いていた。 二回目は、前回の事があるので、バスを利用することにした。バスなら、浜松町で乗り換えることも無いし、安心。安心(^-^)♪と思っていた私が甘かった。渋滞で、バスが遅れてしまったのだ。(T^T)7時に離陸の飛行機に、飛行場に着いてのが、7時5分。祈る気持ちで、ANAのカウンターへ。 「もう、最終便は離陸しました。」とニッコリ満面の笑みで答えるANAのおねえさん。目の前が、真っ暗になりながら、 「あのう、どうすれば良いんですか?」 と尋ねると、 「しばらくお待ち下さい。」 とコンピューターをチェック。 「空席があるのが、明日の午後の6時の便になります。」 と再度、満面の笑顔で、ニッコリ。(状況を考えてろお!と思う私)現金の持ち合わせもなく、頭がくらくらしながら、半べそ状態。 やはり持つべきモノは友。東京にいる親友のふみえちゃんに電話をして、泊めて貰うことになったので、とりあえずお金の心配は解決。 そして、次の日の飛行機で無事鹿児島へ。。。空港へ二回も来てくれた、お父さん、お母さんありがとう(/_;) さて、今回はバスか電車か決めて居ないのですが、帰国前から武者震いするほど。12-13時間も、飛行機で帰国した後にこの仕打ちはこたえます。。自分で自分の無事を祈りたいと思います。(-人-)合掌